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伊達綱宗収蔵品発掘調査

三代藩主伊達綱宗公313遠忌法要記念ブログ                                                    御身必要のもの―善応殿副葬品「酸漿蒔絵合子」内容物分析調査―

2023.06.04

仙台藩三代藩主伊達綱宗公は、正徳元年(1711)6月4日、隠居後50余年を過ごした品川屋敷で72年の生涯を閉じました。
若くして藩政を退いた故に、藩主の座にあった2年間の出来事以外、あまり知られるところのなかった綱宗公ですが、このたび副葬品である「酸漿蒔絵合子」の内容物分析調査によって、新たな知見が加えられることになりました。

◆綱宗公副葬品「酸漿蒔絵合子」
「酸漿蒔絵合子」は1981年、1983年に行われた墓室の発掘調査で出土した副葬品の一つです。甲盛の印籠造りで、サイズは幅57ミリ、厚さ19ミリと平たく小ぶりです。装飾は黒漆地に網袋と酸漿の意匠の蒔絵が施されています。ちょうど蓋の天辺で網袋の紐を結ぶようなデザインになっており、とても洒落ています。一方内側は上下とも梨地で統一されています。発掘当時はこの中に粘性のある茶褐色の物質が身いっぱいに充填されていました。
この内容物については治家記録などにも記載は無く、江戸時代に製造された何らかの物質ということで大変貴重な資料と考えられましたが、発掘当時の分析ではある種の脂肪酸であることは判明したものの詳細を特定できず、以来謎のまま、蒔絵合子とともに収蔵庫内で保管されて来ました。

図1 酸漿蒔絵合子の外観(左)とその中に収められていた有機物(右)

◆「酸漿蒔絵合子」内容物分析調査
 今回の分析調査は、熊本大学大学院先端科学研究部 中田晴彦准教授と大学院生(当時)の原野真衣氏により行われました。
 まず、合子の内容物は約38年間、常温で置かれたゆえに乾燥が進み、劣化が見られたため、分析によって有意な結果が出るか確認する必要がありました。そのためフーリエ変換赤外分光光度計(FT-IR)で分析を行ったところ、脂質(脂肪酸)の存在が確認できたため、次の工程として、試料を有機溶媒に溶解しその一部をガスクロマトグラフ質量分析装置GC/MSに導入し、構造解析を行いました。その結果、脂肪酸のパルミチン酸とステアリン酸(ろうそくの原料であるハゼやウルシの実から採れる油脂に多く含まれる)と松脂に特異的に含まれるピマル酸・デヒドロアビエチン酸・アビエチン酸等が検出されました。このことから、合子の内容物は生物由来の油脂と松脂の混合物であることが判明しました。

図2 酸漿蒔絵合子内有機物をガスクロマトフラフ質量分析装置(GC-MS)で分析して得られたクロマトグラムとマススペクトル

◆膏薬?鬢付け油?それとも…?
 江戸時代に流通していた「松脂」と「油脂」の混合製品として、まず考えられたのが「膏薬」です。松脂には炎症や痛みを抑える効能があることが古くから民間療法的に知られており、また慶長年間に日本に伝わった「本草綱目」などの薬学書にも、悪性腫物や痛み止め・膿を出すなどの効能があることが記載されています。こうした軟膏はアマニ油またはごま油などが混ぜられ「松脂膏薬」の名称で流通していました。仙台藩は川芎(せんきゅう)や沢瀉(たくしゃ)などの薬の原料となる薬種の一大産地でもあり、仙台薬種仲間を組織して日本全国に流通させていたことや、18世紀はじめには薬種の栽培試験場である「薬種園」を、政宗公の隠居所であった若林城の跡地に造るなど薬種業が盛んでした。こうしたことから松脂膏薬などの各種薬や原料等を手に入れることは同業種間や薬問屋などとの繋がりによって比較的容易であったと考えられます。綱宗公は晩年、下顎歯肉癌に関連するとみられる歯茎の腫れや痛み、爛れがあったとされること、また変形性関節症や脊椎症を患っていたことが遺骨から判明しており、その消炎や排膿に松脂膏薬を用いていた可能性があります。
 一方、膏薬のほかに松脂と油脂が用いられた製品として「鬢付け油」がありました。元々武家に仕える若衆などが頬髯を固めるために木蝋(櫨や漆の実を煮て圧搾した油を固めた蝋燭)の溶けたものに松脂を入れて練り混ぜたものを使用していたところから発したものとされています。後に匂いを付けて「伽羅の油」と称し、薬種屋で販売するようになるに至り、ただ髭に使用するにとどまらず、髪の毛を整えるのに用いられるようになりました。寛文頃になると「伽羅の油」の専門店が出て、男女の区別なく大いに流行したようです。
 また、これら「松脂膏薬」と「鬢付け油」を併せたような用法の製品も存在していました。寛永の末に芝明神前宇田川町に太好庵せむし喜右衛門という医者が、「花の露」という薬油を製しており、これは頭髪用の油ではなく、顔にできた吹き出物に効き、顔に艶を与える匂い油であったそうで、現在で言う化粧水や乳液、薬用クリームとかそういったものを想像させます。「花の露」には松脂は含まれていなかったようですが、「伽羅の油」も化粧下地に用いられることもあったとされ、使用法についても一通りではなかったようです。
「酸漿蒔絵合子」の内容物がいずれの製品だったかについて、確実な所は明らかではありませんが、「膏薬」、「鬢付け油」どちらの可能性も大いにあり得るものです。

◆常に御身必要のもの ―化粧道具―
 綱宗公は死後間もなく浄められ、常滑産とされる大型の甕に納棺されました。棺には刀や脇差の他、鏡や鏡架、化粧道具を入れた手箱がともに納められました。綱宗公が生前、日々の身繕いにこれらの道具を用いていたことは、「雄山公治家記録」の「上衣は白綾、刀、脇指のほか、常に御身必要なものを納め、表寝所に柩を安置した」 の ‟常に御身必要のもの“ という言葉に示されています。
「酸漿蒔絵合子」は、この手箱の中の、さらに小ぶりな黒漆の箱に紅皿とともに入れられていました。このことから、合子の内容物は紅の下に塗る保湿剤として用いていたとも想像できます。男性が紅を差すというのは珍しく思えますが、武士の心得を記した、かの『葉隠』にも「写し紅粉(こうふん)を懐中して酔い覚ましや寝起きなど顔色の悪い時は直すがよい」と記述されており、男性でも化粧めいたことをすることがあったようです。(ただし、紅は高価なものでもあったため、この頃はまだ武士階級以上の男性のたしなみであったと考えられます)
 今回の「酸漿蒔絵合子」内容物分析調査では、若くして表舞台から退いた綱宗公の、その後の生活の一端、日々の身繕いに見られる美意識に光を当てる非常に貴重な知見が得られました。
瑞鳳殿付属資料館では綱宗公の御命日である6月4日から11日まで、「酸漿蒔絵合子」と「長手箱」、「紅皿」を展示しております。この機会にぜひご覧いただければ幸いです。

※末文ではございますが、構想から実験室での分析、データ解析、論文執筆などのすべてにご尽力いただきました熊本大学大学院先端科学研究部 中田晴彦准教授と大学院生(当時)の原野真衣氏、また歴史資料やサンプルのご提供など、分析調査に携わられました皆さまに深く御礼申し上げます。

発表論文
雑 誌 名:International Journal of Historical Archeology
タイトル:Analysis of Organic Residue in a Wooden Vessel Excavated from a Tomb of Japanese Samurai Buried in the Seventeenth Century
著 者 :Mai HARANO, Yasumune DATE, Haruko WATANABE, Haruhiko NAKATA
DOI 番号:10.1007/s10761-023-00693-8
論文URL:https://doi.org/10.1007/s10761-023-00693-8
International Journal of Historical Archeology, 1-13.
Published on line: January 19, 2023.