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仙台藩伊達家伊達綱宗収蔵品

令和6年度伊達綱宗公314遠忌法要「綱宗公の贈り物」

2024.06.16

贈り物は物を介した心の交流、綱宗公が選んだ、あるいは手ずから拵えた品々

仙台藩三代藩主伊達綱宗公は、二代藩主忠宗公の死去に伴い19歳で家督を相続しました。藩政への意欲はあったものの、生活の乱れなどにより僅か二年で幕府より逼塞隠居を命じられ、以後は江戸品川の仙台藩藩邸で72年の生涯を終えるまで、実質的な軟禁状態で過ごす事となりました。その50年余の生活の中で、公は能や香道、茶道、絵画、作刀、工芸等々、様々な芸術に傾倒し、多くの作品を生み出しました。

外界とは隔絶した環境に置かれていた綱宗公ですが、自身が選んだ、あるいは手ずから拵えた品々を用いて、兄弟や子息、親戚筋から禁裏まで、さまざまな人々と親交を結んでいます。 本ブログでは、綱宗公の選んだ贈り物たちをご紹介しつつ、公の美意識や価値観についてご紹介したいと思います。

「折々のご挨拶には、国産のものを ~紅花、ほもし、鮭~」

綱宗公の実母貝姫が公家の出身であった事から、禁中(禁裏)とは藩主になる以前から折々に書状や贈り物を交わす間柄でありました。貝姫の姉であり、綱宗公にとっては伯母にあたる逢春門院には、国産の紅花やほもし、鮭などが贈られています。当時、綱宗公は江戸在住であった事から、わざわざ国元の仙台から品々を取り寄せていたと考えられます。禁中への贈り物ですから半端なものを進呈するわけにはいきません。それだけ国産のものに自信があったのでしょう。

〔紅花〕

仙台藩南部では紅花の栽培が行われていました。当時紅は高級品で綱宗公の副葬品からも伊万里の紅皿が出土しています

綱宗公副葬品「紅皿」

〔ほもし〕(女房詞)

かれいい・ほしい(糒)とも。一度炊いた、あるいは蒸したお米を天日にさらして乾燥させたもので、水に浸したり湯をかけて戻し食します。江戸時代には「仙台糒」と称する上質な糒が仙台の特産品として知られており、藩は幕府や朝廷に献上していました。逢春門院からの返書にも「見事なほもし」や「美しきほもし」との形容が見られます。

〔鮭〕 

仙台藩領には北上川など良質な鮭の漁場があり、儀礼食や贈答品として大量に漁獲されていました

 

「鮭子籠」塩引鮭に鮭子をを詰めたもの。政宗公時代からの献上品

 

「香には一家言。調香もいたします ~伽羅、懸香~」

綱宗公の墓所である善応殿からは副葬品として「九重」と記された香木や香道具が出土しています。「九重」は後陽成天皇の勅銘香として知られていますが、同一のものかは不明です。綱宗公は10歳の子息亀千代(綱村公)に「香久山」「ねざめ」といった名香11色を贈り、「この二色は柴舟以来の名香・伽羅です」と書き送っています。また伽羅は五代吉村公にも進呈しており、伊達家代々の嗜みとしての香道や銘木を重要視していた事が見て取れます。また綱宗公は調香も行っていたらしく、姉鍋姫の子である柳川藩三代藩主立花鑑虎へは手製の懸香(におい袋)を贈っています。

綱宗公副葬品「九重」

 

「絵には心得があります ~自筆の絵色々~」

綱宗公は狩野派の名手狩野探幽に師事し、人物画や山水画などに多数の秀作を残しています。その作品の中には、ぜひにと請われて描いたものもあり、綱宗公の技量が手慰みを超えて絵師の域に達していた事がうかがえます。子息綱村公の正室仙姫の兄であり、幕府老中であった稲葉正往にも「近頃の(綱宗の)画がとりわけ見事に思えたので、一幅御所望したい」と請われ、「いつでも出来の良いものを御覧じます」と応じています。画に対する綱宗公の自負を感じさせます。他にも久我通誠を通じて仙洞(上皇)へ自筆画を献上したり、儒学者である大島良設へ聖堂に飾るための「孔子図」を贈ったり、次男村和には横物三枚の画を与えたりと様々な人物に進上した記録が残されています。

 

「渾身の一品を贈ります ~伊万里焼、煙草入れ、手箱~」

様々な芸術に精進していた綱宗公の審美眼がいかほどだったか? それをうかがわせるエピソードとして禁中への伊万里焼の献上が挙げられます。名陶を輩出した伊万里焼(有田焼)の窯元、辻家に伝わる『辻家時代書』によると、寛文8年、綱宗公は自身の眼鏡にかなう陶磁器を求めて伊万里屋五郎兵衛という商人を有田に派遣しました。五郎兵衛が当地の窯焼らに尋ねたところ、辻喜右衛門という名陶を紹介されました。喜右衛門が求めに応じて青花の美事な磁器を焼くと、綱宗公は「これ貴賓の用ふ可き器なり」と激賞しその器を仙洞(上皇)に献上しました。その後、霊元天皇は佐賀藩主に伊万里焼を御膳器として納めるように命じ、辻喜右衛門の家は代々禁裏御用を務める事になりました。禁裏で伊万里焼の御膳を使用するようになったのは、綱宗公が切っ掛けだったというお話です。 こうした審美眼は創作にも活かされており、蒔絵の施された手製の煙草入れや手箱も製作しています。ちなみに煙草入れは伯母の天麟院(五郎八姫)に贈られており、その返書には「こんなに美しいものは見たことがない」と賞されています。

綱宗公の贈り物。今回ご紹介したのはごく一部ですが、公の人となりと風雅な生活の一端を感じていただけていれば幸いです。

伝伊達綱宗公手製家紋蒔絵文箱