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仙台藩伊達家伊達政宗

令和7年度伊達政宗公390遠忌法要「境内の石造物ー地元産の石が支える御霊屋(1)ー」

2025.05.24

歴史の「定礎」、石造物。

瑞鳳殿は、仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、寛永14年(1637)に築かれた御霊屋です。後年国宝に指定されたものの、木造建築の一切は昭和20年(1945)の戦災によって焼失しました。戦後に再建されましたが、江戸時代の原型そのままを留めているのは石段や石垣、石畳などの石造物だけです。 
これらの石材は仙台城下周辺で採れた三滝玄武岩という、極めて緻密で風化に強い火山岩が使用されています。
今回は、瑞鳳殿の美観を構成する石段・石垣とその石材である三滝玄武岩の特徴や由来についてご紹介いたします。

表参道石段
杉木立に囲まれた表参道には、踊り場に至る一五段と、なだらかな歩幅の広い六三段の石段があります。元は六二段で、一説には仙台藩六二万石になぞらえたものとも伝えられます。三滝玄武岩特有の灰色で落ち着いた色合いが静謐さを感じさせる石段です。踏面と蹴上で丁寧に加工された切石が用いられ、段差の均一性など、当時の石工技術の確かさを物語ります。敷設から約三九〇年、境内でも最初期の石造物と考えられます。

涅槃門と拝殿を繋ぐ石段
涅槃門は、現世と涅槃(聖域)を分かつ象徴的な門であり、そこから拝殿へと至る二一段の石段は、重要な儀式空間の一部となっています。
この石段は一、二段目の踏面が狭く、三段目が歩幅二歩分と広くなり、これが七回繰り返されて最上段に達するという工夫がなされています。このような形にした理由は不明ながら、藩祖の廟に通じる階段として各別の配慮が加えられたものと言えます。

石垣
瑞鳳殿の地形は自然のままのものではなく、地山を削り、あるいは盛って平面を造っています。そうした土砂の倒壊を防ぐため、境内には複数の石垣が築かれています。瑞鳳殿廟域の石垣は「野面積み」で、三滝玄武岩の自然石や割石が積まれています。こうした石積みの形式では、石そのものに加工はほとんどなく、重ねて出来た隙間には小さな石を詰めて安定させています。「野面積み」は石垣の最初期の技術ですが、石と石の間が密でないために排水に優れ、また柔軟に形状を調整できる事から、傾斜地や起伏の多い場所にも適した石積み技法です。特に涅槃門周辺の石垣は、戦前とあまり変わっておらず、石の配置も一部を除きほぼ同様です。崩れ防止のために置かれたひと際大きな「隅石」も見所です。表紙の画像とぜひ見比べてみてはいかがでしょうか。

地元産の石材 ―三滝玄武岩―
三滝玄武岩は、硬質ながら割れの制御がしやすく、整形加工に適した性質を持ち、また仙台城から比較的近距離の青葉区荒巻から八幡町、国見周辺の地層から主に採取できたことから、仙台城下の建設に非常に重用された建築資材です。
最近、石材に含まれる磁性鉱物の量に依存する帯磁率の測定を、東北大学名誉教授 蟹澤聰史氏に実施していただいたところ、瑞鳳殿境内の石造物に使用された石材の多くが、仙台城本丸の石垣や大崎八幡宮の石段や石畳などと同じく三滝玄武岩の示す帯磁率の範囲内にあることが判明しました。
三滝玄武岩の採取場所については複数存在したことが仙台城址の調査によって知られていますが、瑞鳳殿境内の三滝玄武岩が具体的にどの場所から切出されたものかは判明していません。 先の帯磁率の調査では、値は三滝玄武岩を表す域値の範囲内で分布しているものの、必ずしもすべての測定箇所で一致するものではなく、この事は石材が複数の石切場から採取された可能性を示唆していると考えられます。今後の帯磁率測定による研究の進展が待たれます。

三滝玄武岩は江戸時代から現代まで、仙台の石造文化を支えてきた礎とも言うべき地場石材です。 
仙台城や旧仙台藩領の神社仏閣を訪れた際は、石材についても、ぜひ注目していただければ幸いです。