Language

お問い合わせ

Language

仙台藩伊達政宗

令和八年度 伊達政宗公391遠忌法要「政宗公の死と怪異」

2026.05.27

怪異――それは政宗公の最期をめぐる霊的記憶

現在のように科学技術も発展しておらず、夜の暗闇もより濃密だった江戸時代には、神仏や怪異といったものとの距離もぐっと近かったと考えられます。
伊達家の公式記録である治家記録や政宗公の言葉や行いを書き留めた『木村宇右衛門覚書』にも不思議な出来事が多数記録されています。
なかでも政宗公の死去前後には国元・江戸問わず怪異が頻発しています。
今回は、特に死去直前の怪異をご紹介しながら、そこにある共通点や意味などについて探っていきたいと思います。

 

怪異一 鹿狩り――死を告げる瑞兆――

寛永十三年 正月二十日
政宗公は五千人の勢子を連れて鹿狩りに出向き、そこで辞世の和歌を詠んでいます。
この頃から政宗公の体調は優れずそうした主君を励まそうと人々は皆狩りに精を出していました。そんな時、一頭の白い鹿と二頭の女鹿が現れます。人々は懸命に追いますが二頭を取り逃がし、最後の一頭もあわや、という所で政宗公が鉄砲で仕留めました。公はこの地での狩りはこれが最後になるだろうと告げて辞世の和歌を詠み、後に政宗公に殉死する事になる南次郎吉に与えました。

「くもりなき 心の月を さきたてて 浮世のやみを はれてこそゆけ」

政宗公は鹿の出現に、自身の死の予兆を見ていたのでした。

瑞鳳殿脇に設けられた殉死者供養塔(戦災前)
写真奥から三番目が南次郎吉政吉の宝篋印塔

 

怪異二 童子 ――異界からのお迎え――

同年 四月十三日
西舘(五郎八姫)が父政宗公の隠居所である若林城へ朝から訪れていました。そこでは一日中酒盛りが繰り広げられ、沈酔した政宗公は午後二時から四時頃には寝所に入り、転寝をしていました。公がふと気づくと年の頃十二、三歳ばかりのいかにも美しい童子が、枕元にかしこまって言いました。「もうちょうどよい頃合いです。急いでお出でください」政宗公は童子を見て、西舘(五郎八姫)が召し使わせたものと思い今出るから、お前は先に行きなさいと言いますが、童子は返事もせずに枕元に留まったままです。政宗公は、童子が戻り道を忘れたのかもしれないと思い、女房衆を二、三人呼び、そこの童子に道を教えてやれと命じます。
しかし女房たちには童子の姿は見えません。やがて童子は枕元から明かり障子の立ててある縁側へ行ってそのまま姿を消してしまいました。
政宗公は「さては似非者か。にくい奴だ。見つけられないのも道理だ。逃がしてしまったのは口惜しい」と言ってまた寝てしまったといいます。

中世〜近世の逸話には死の直前に童子・僧・美女などが現れて「あちら側へ導く」という話が多くあります。しかも他人には見えない。典型的な「お迎え」のモチーフと言えます。

 

怪異三 深夜の行列 ――魂の先行き――

同年 四月十九日
深夜、輪王寺のあたりが急に騒がしくなり、門を叩く音がしました。住職が出ると、御徒衆が「政宗公がおいでになる」と告げるや否や、公本人が馬に乗って現れました。そして「この寺に伝わる仏法の秘密の巻物を授けてほしい」と求めます。住職が「寺の秘宝なので容易に渡すことはできません」と答えると、政宗公は「それは殊勝な心掛けだ」と褒め、そのまま去って行きました。行列は覚範寺から八幡堂の方へ進み、住職は「時鳥を聞くため北山へ向かわれるのだろう」と思って見送りました。しかし後で考えると、その道は御葬礼場へ通じる道だったのです。やがて提灯の灯りは一か所に集まり、突然燃え上がって消え、人馬の姿も跡形なく消え失せました。住職は翌日、「不思議な夢を見た」と弟子たちに語ったといいます。この出来事のあった翌日に政宗公は将軍への暇乞いのため、江戸へ最後の参勤交代に旅立ちます。この逸話は言わば霊的な出立と言えるでしょう。

現在の大願寺境内にある政宗公の灰塚。御葬礼場跡
につくられた

 

怪異四 志賀栗毛 ――主君に殉じるもの――

同年五月二十二日の夜、病床の政宗公は一時危篤に陥りましたが、やがて持ち直し、「人は強いようでいて弱いものだ。少し眠気が差すと心が引き込まれるようであった」と語ったといいます。
それを聞いた宇右衛門は、政宗公が日光・奥の院で倒れた際、愛馬・志賀栗毛が急死した出来事を思い出します。異変なく過ごしていた馬は突然いななき、膝を折ってそのまま息絶えました。普通の馬の亡くなり方ではなく、日頃から「今、武具を着けて乗るなら志賀栗毛」と思い定めていたという政宗公を慮り、その愛馬の死は隠し通されました。人々は、「冥途まで主君のお供をしたのだ」と語り合いました。
政宗公は二日後の二十四日に死去し、遺骸が仙台へ戻る道中では、秘蔵の鷹もまた突然死したと伝えられています。

ほかにも、政宗公が亡くなる前には、不在の寝所から咳や話し声が聞こえる、包まれた煙草入れの中身が丁寧に取り出され、周囲に小さな足跡が現れる、読経が泣き声のように大きく響くなど、さまざまな怪異が記録されています。

当時の人々にとって、政宗公ほどの人物の死は、自然や霊的な世界にまで影響を及ぼすものだという感覚があったのかもしれません。また、こうした怪異譚は単なる作り話ではなく、家臣や領民たちの大きな不安や喪失感が投影されたものとも考えられます。

受け入れがたい死を受容するための、一種の通過儀礼として語られた怪異—それは、政宗公がいかに偉大な存在であったかを示す証左とも言えるのではないでしょうか。