瑞鳳殿ずいほうでんについて、霊屋おたまや御霊屋おたまや〕について

B-1.瑞鳳殿ずいほうでん伊達だて政宗まさむねの関係を教えて下さい。
B-2.瑞鳳殿ずいほうでん造営ぞうえいしたのは誰ですか
B-3.瑞鳳殿ずいほうでん造営ぞうえいにかかった工事期間を教えて下さい。
B-4.瑞鳳殿ずいほうでんという名前の由来ゆらいを教えて下さい。
B-5.瑞鳳殿本殿ずいほうでんほんでん構造こうぞうを教えて下さい。
B-6.現在の瑞鳳殿ずいほうでんは焼失前瑞鳳殿と同仕様しよう〔同様〕で再建さいけんされたのですか
B-7.焼失前と同仕様しよう〔同様〕で瑞鳳殿ずいほうでん再建さいけんした場合の建設費用けんせつひようはいくらですか
B-8.再建さいけんされた瑞鳳殿ずいほうでんと焼失前瑞鳳殿との比較ひかくを教えて下さい。
B-9.瑞鳳殿ずいほうでん再建さいけんに使用された建設材料はどこから取り寄せたのですか
B-10.瑞鳳殿ずいほうでん再建さいけんにかかった費用ひようはいくらですか
B-11.瑞鳳殿ずいほうでん焼失時に焼残った物、再建時さいけんじ復元ふくげんされなかった物はありますか
B-12.瑞鳳殿ずいほうでん焼失時に焼残った竜頭彫刻瓦りゅうとうちょうこくがわらは、現在どこにありますか
B-13.瑞鳳殿ずいほうでん焼失によって失った大切なものはありますか
B-14.瑞鳳殿ずいほうでん涅槃門ねはんもんには、なぜ『きく』の紋章もんしょうが付いているのですか
B-15.瑞鳳殿ずいほうでん拝殿はいでん扁額へんがくは誰の書ですか
B-16.瑞鳳殿ずいほうでんの特に優れている部分はどこですか
B-17.瑞鳳殿ずいほうでん大改修工事だいかいしゅうこうじの内容について教えて下さい。
B-18.再建さいけんされた瑞鳳殿ずいほうでんは、どこで管理されているのですか
B-19.瑞鳳殿ずいほうでんのような霊屋おたまや御霊屋おたまや〕建築物は、他にもありますか


B-1.瑞鳳殿ずいほうでん伊達だて政宗まさむねの関係を教えて下さい。
伊達だて政宗まさむねは、寛永かんえい13年(1636)5月24日、江戸桜田上屋敷えどさくらだかみやしきにて70年の生涯しょうがいを閉じました。 遺骸いがいは直ちに仙台せんだいに送られ、故人こじん遺言ゆいごんによって経 ヶ峯きょうがみね埋葬まいそうされました。瑞鳳殿ずいほうでんは伊達政宗の御霊みたままつ霊屋おたまや御霊屋おたまや:おどう・神殿〕として、墓所ぼしょの上に建てられた廟墓びょうぼB-5参照)です。
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B-2.瑞鳳殿ずいほうでん造営ぞうえいしたのは誰ですか
2代藩主はんしゅ伊達だて忠宗ただむねが、仙台藩祖せんだいはんそ伊達だて政宗まさむね〔父〕の御霊みたままつ御廟ごびょうB-1 B-3参照)を造営ぞうえい〔建設〕するよう奉行ぶぎょう家老かろう〕の奥山大学おくやまだいがくD-11参照)に工事責任者をめいじました。
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B-3.瑞鳳殿ずいほうでん造営ぞうえいにかかった工事期間を教えて下さい。
貞山公治家記録ていざんこうちかきろく』〔伊達だて政宗まさむね治政ちせいを記録した古文書こもんじょ〕には、寛永かんえい13年(1636)6月4日、伊達政宗の遺骸いがい経ヶ峯きょうがみねD-1 D-5参照)に埋葬まいそうしたとあり、『義山公治家記録ぎざんこうぢけきろく』〔伊達だて忠宗ただむねの治世を記録した古文書〕には、寛永13年9月、御廟ごびょうの工事(B-1 B-2参照)が始まり、寛永14年10月24日に落成らくせい〔完成〕、瑞鳳殿ずいほうでんごうしたと記されていますので、経ヶ峯の造成ぞうせい工事〔土木工事〕をふく廟所びょうしょ完成までの期間は、わずか1年間であったことがわかります。
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B-4.瑞鳳殿ずいほうでんという名前の由来ゆらいを教えて下さい。
瑞鳳殿ずいほうでんの名前についての由来ゆらいを記したものはありませんが、『ずい』という文字は、伊達だて政宗まさむね法名ほうみょう『瑞巌寺殿貞山禅利大居士』ずいがんじていざんぜんりだいこじA-3参照)の中にあり、『ほう』という文字は古来こらい、中国でとうとばれた想像上そうぞうじょう瑞鳥ずいちょう鳳凰ほうおうを表したものと推定されます。『殿でん』という文字は、一般に社寺しゃじなどの建物を表します。また、焼失前瑞鳳殿の棟札むなふだ〔工事の由緒ゆいしょ等を記し棟木むなぎに打ち付ける札〕の本文中に『立柱上梁出郡技萃世界斉平鳳凰現瑞』〔上棟は技郡の勝れた立派なものであり、また、世は太平で鳳凰はめでたいしるしを現してくれ〕『瑞』と『鳳凰』の文字がふくまれていることから、これを由来とする説もあります。
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B-5.瑞鳳殿本殿ずいほうでんほんでん構造こうぞうを教えて下さい。
瑞鳳殿ずいほうでん霊屋おたまや御霊屋おたまや〕と称する廟墓びょうぼB-1参照)です。廟墓の構造こうぞうは、地下墓室ぼしつ遺体いたい埋葬まいそう後、地上に死者をまつ殿舎でんしゃ〔おどう・神殿〕を建て、建物の内部には須弥壇しゅみだんを置き、埋葬者生前せいぜんの姿をあらわす木像が安置あんちされています。
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B-6.現在の瑞鳳殿ずいほうでんは焼失前瑞鳳殿と同仕様しよう〔同様〕で再建さいけんされたのですか
瑞鳳殿ずいほうでんは、寛永かんえい14年(1637)秋、2代藩主はんしゅ伊達だて忠宗ただむねによって創建そうけん〔建設〕されましたが、昭和しょうわ20年(1945)7月10日の仙台空襲せんだいくうしゅうにより焼失し、昭和54年(1979)コンクリート造りによる現代工法げんだいこうほうによって再建(B-8参照)されました。平成へいせい13年(2001)には、大改修工事だいかいしゅうこうじB-17参照)が実施じっしされ、装飾そうしょくは寛永14年(1637)創建当時そうけんとうじに、より近い姿となりました。
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B-7.焼失前と同仕様しよう〔同様〕で瑞鳳殿ずいほうでん再建さいけんした場合の建設費用けんせつひようはいくらですか
創建当時そうけんとうじ寛永かんえい14年(1637)〕と同仕様しよう〔同じ材料、工法、条件〕で、瑞鳳殿ずいほうでん再建さいけんした場合の建設費用けんせつひよう積算せきさんしておりません。当時の建設費用を、現在の金額に相当そうとうし積算することを困難こんなんにしている要因よういんとしては、創建当時の材料及び技術等を現在の基準値きじゅんち同列どうれつ評価ひょうかできないこと。また、伊達家古文書史料だてけこもんじょしりょうに建設費用に関わる記録が残されていないことにあります。しかし、当時、わずか1年で経ヶ峯きょうがみね造成ぞうせい工事〔土木どぼく工事〕ふくめ、霊屋おたまや御霊屋おたまや〕が造営ぞうえい〔建設〕(B-3参照)されていることから、多くの人的労力じんてきろうりょくが含まれていたと推定されます。
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B-8.再建さいけんされた瑞鳳殿ずいほうでんと焼失前瑞鳳殿との比較ひかくを教えて下さい。
再建さいけんされた瑞鳳殿本殿ずいほうでんほんでん鉄筋てっきんコンクリートづく平屋建ひらやだて、屋根やね方形造ほうぎょうづくり〔宝形造ほうぎょうづくり〕、銅板本瓦葺どうばんほんがわらぶき33.6F=10つぼ〔焼失前本殿と同床面積どうゆかめんせき〕、軒高のきだか4.11m、高さ〔宝珠先端含ほうじゅせんたんふくむ〕9m。再建された拝殿はいでん〔注:再建された拝殿は割拝殿わりはいでんとして設計されたもので、焼失前拝殿とは外観及がいかんおよ規模きぼことなる〕は鉄筋コンクリート造り平屋建て、屋根は切妻きりづま造り銅板葺き51.8F=16坪〔焼失前拝殿床面積の約1/2〕、軒高2.9m、棟高むねだか5.2m。再建された涅槃門ねはんもんは木造平屋建て、屋根は切妻造り銅板段葺だんぶきき5.78F=18坪〔焼失前涅槃門と同床面積〕軒高2.8m、棟高5.5m。再建された御供所ごくしょ〔現資料館〕は鉄筋コンクリート造り平屋建て、屋根は入母屋いりもや造り銅板平葺ひらぶき137F=41.5坪〔注:再建された御供所は資料館として設計されたもので、焼失前御供所とは外観及び規模が異なる〕また、焼失前瑞鳳殿には本殿の前に唐門からもんと本殿と拝殿の間を結ぶわた廊下ろうか、御供所から本殿わきいた回廊かいろう設置せっちされていましたが、再建時には省略しょうりゃくされています。
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B-9.瑞鳳殿ずいほうでん再建さいけんに使用された建設材料はどこから取り寄せたのですか
再建さいけんされた本殿ほんでん拝殿はいでん躯体くたい部分〔建物構造本体〕は鉄筋てっきんコンクリートづくりですが、涅槃門ねはんもんは木造で再建され、建設材料には青森あおもりヒバが使用されました。また、本殿・拝殿・涅槃門の塗装とそうに使われたうるし国産最高級漆こくさんさいこうきゅううるし上塗うわぬりされています。
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B-10.瑞鳳殿ずいほうでん再建さいけんにかかった費用ひようはいくらですか
昭和しょうわ54年(1979)現代工法げんだいこうほうにより再建さいけんされた瑞鳳殿ずいほうでん(B-8参照)は、工事前に実施された遺跡発掘調査いせきはっくつちょうさC-1参照)をふくめ、本殿ほんでん拝殿はいでん涅槃門及ねはんもんおよ関連施設かんれんしせつの完成までに5年の歳月と当時のがく総費用そうひよう8おく円をようしました。
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B-11.瑞鳳殿ずいほうでん焼失時に焼残った物、再建時さいけんじ復元ふくげんされなかった物はありますか
昭和しょうわ20年(1945)瑞鳳殿ずいほうでん焼失の際、本殿ほんでん屋根隅棟やねすみむねに取り付けられていた青銅製せいどうせい竜頭彫刻瓦りゅうとうちょくこうかわらB-12参照)が焼残りました。昭和54年(1979)現代工法げんだいこうほうにより再建さいけんされた瑞鳳殿(B-8参照)では、唐門からもんをはじめ、竜頭彫刻瓦と本殿隅柱すみばしらかざ獅子頭ししがしらの彫刻が省略しょうりゃくされました。また、拝殿は割拝殿わりはいでん方式に変更へんこうされ焼失前の半分の面積となりました。さらに、涅槃門ねはんもんでは左右を飾っていた竜の彫刻が省略されています。なお、平成へいせい13年(2001)に行われた大改修工事だいかいしゅうこうじB-17参照)では、竜頭彫刻瓦8体と獅子頭8体が新たに復元ふくげんされ、また、劣化れっかいちぢるしかったコンクリート製の組物くみもの頭貫かしらぬきも木製に変更されました。
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B-12.瑞鳳殿ずいほうでん焼失時に焼残った竜頭彫刻瓦りゅうとうちょうこくがわらは、現在どこにありますか
焼失前瑞鳳殿屋根しょうしつまえずいほうでんやね隅棟すみむねには『うん』の竜頭彫刻瓦りゅうとうちょうこくがわら、計8体〔寛永かんえい14年高田久兵衛たかだきゅうべえ作〕(B-11参照)が据え付けられていました。瑞鳳殿は昭和20年(1945)7月10日の戦災で焼失しましたが、青銅製の竜頭彫刻瓦は辛うじて焼残り〔残存数未確認〕、この内、4体〔阿1体、吽3体〕は松島町まつしまちょう宮城県みやぎけん〕、2体は瑞鳳寺ずいほうじ仙台市せんだいし〕が保管ほかんしてきました。平成へいせい11年(1999)5月24日、松島町所蔵しょぞうの竜頭彫刻瓦の内『吽』2体が、伊達家だてけ〔18代当主とうしゅ伊達だて泰宗やすむね〕(F-3参照)をかいして再建さいけんされた瑞鳳殿に里帰さとがえりし、瑞鳳殿境内けいだいと瑞鳳殿資料館内に展示てんじされていますので、現在、確認されている竜頭彫刻瓦は計6体となります。
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B-13.瑞鳳殿ずいほうでん焼失によって失った大切なものはありますか
国宝こくほうであった瑞鳳殿ずいほうでん昭和しょうわ20年(1945)7月10日の仙台空襲せんだいくうしゅうにより焼失し、有形文化財ゆうけいぶんかざい歴史的建造物れきしてきけんぞうぶつ〕としての価値かちを失いました。また、形にはあらわせませんが、仙台の歴史的象徴しょうちょうとしての精神的遺産せいしんてきいさんを失ったと言えるかもしれません。
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B-14.瑞鳳殿ずいほうでん涅槃門ねはんもんには、なぜ『きく』の紋章もんしょうが付いているのですか
伊達家だてけは、定紋じょうもん〔家紋〕である『竹に雀』の外に、『三引両みつびきりょう』『きく』『きり』『牡丹ぼたん』『蟹牡丹かにぼたん』『九曜くよう』『雪薄ゆきすすき』の紋章も有していました。『菊』と『桐』の紋章は、豊臣秀吉とよとみひでよしから拝領はいりょうしたもので、瑞鳳殿ずいほうでんの他、瑞巌寺ずいがんじ大崎八幡宮おおさきはちまんぐう、また、焼失した仙台城にも付けられていました。
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B-15.瑞鳳殿ずいほうでん拝殿はいでん扁額へんがくは誰の書ですか
焼失前瑞鳳殿拝殿しょうしつまえずいほうでんはいでん扁額へんがくには、『佐文山書  時七十六歳』〔佐文山:佐々木文山ささきぶんざん書家しょか)〕と署名しょめいされていました。なお、再建さいけんされた瑞鳳殿拝殿の扁額は、焼失前瑞鳳殿の写真をもとに復元ふくげんされたものです。
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B-16.瑞鳳殿ずいほうでんの特に優れている部分はどこですか
焼失前の瑞鳳殿ずいほうでんは、江戸時代初期えどじだいしょきにおける、桃山様式ももやまようしき廟建築びょうけんちくとして国宝こくほう指定していされていました。現在の瑞鳳殿は昭和しょうわ54年(1979)、現代工法げんだいこうほうにより再建さいけんB-8参照)されたもので文化財としての指定は受けていません。
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B-17.瑞鳳殿ずいほうでん大改修工事だいかいしゅうこうじの内容について教えて下さい。
昭和しょうわ54年(1979)に再建さいけんされた仙台せんだい藩祖はんそ伊達だて政宗まさむね霊屋おたまや御霊屋おたまや瑞鳳殿ずいほうでんは、戦災により焼失した経緯けいいから、耐火構造たいかこうぞう鉄筋てっきんコンクリートづくりが採用さいようされました。しかし、再建から20年を経過けいかし、コンクリート製装飾せいそうしょくなどに劣化れっか〔老朽化〕を生じたことから、瑞鳳殿漆塗建築物ずいほうでんうるしぬりけんちくぶつ劣化要因調査委員会れっかよういんちょうさいいんかい、並びに瑞鳳殿改修検討委員会ずいほうでんかいしゅうけんとういいんかいからの答申とうしんと報告を受け、躯体くたい基礎部からの全面的な改修工事〔建物本体部分からの全面的な修復工事しゅうふくこうじ〕を実施しました。これとあわせて再建当時とうじには省略しょうりゃくされていた竜頭彫刻瓦りゅうとうちょうこくがわら8体と獅子頭ししがしら彫刻8体の復元ふくげん工事、また、彫刻や紋様もんようなどの装飾そうしょく寛永かんえい14年(1637)創建そうけん当時の色調しきちょうで復元されました。
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B-18.再建さいけんされた瑞鳳殿ずいほうでんは、どこで管理されているのですか
瑞鳳殿ずいほうでんは、昭和しょうわ54年(1979)瑞鳳殿再建期成会ずいほうでんさいけんきせいかいにより再建さいけんされ、その後、財団法人瑞鳳殿ざいだんほうじんずいほうでんに引き継がれ管理運営かんりうんえいされています。
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B-19.瑞鳳殿ずいほうでんのような霊屋おたまや御霊屋おたまや建築物けんちくぶつは、他にもありますか
江戸時代諸大名墓えどじだいしょだいみょうぼの中に見ることができます。また、仙台藩せんだいはんでも4代藩主はんしゅ伊達だて綱村つなむら以前の2代、3代藩主(D-5 D-6参照)及び一族いちぞくの中には瑞鳳殿ずいほうでんと同じく霊屋たまや御霊屋おたまや〔財団法人瑞鳳殿では、現在の所在地名、仙台市青葉区霊屋下おたまやしたと統一し、霊屋たまやと標記して霊屋おたまやと呼んでいます〕と呼ばれる廟墓びょうぼ(B-5参照)がつくられました。
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